藩士の子は全員、日新館へ藩士の子は全員、日新館へ
1803年に開校した会津藩校・日新館は、藩士の子弟が10歳になると全員入学する「全入制」を採っていました。当時全国に約300あった藩校の中でも、これほど徹底した皆学の仕組みは異例です。敷地内には日本最古とされるプールや、天体観測のための天文台まで備えられ、文武両道どころか理系教育にまで及ぶ総合教育機関でした。
什の掟——10歳になる前の、もう一つの学校什の掟——10歳になる前の、もう一つの学校
日新館入学前の6歳から9歳の子どもたちは、町内ごとに「什(じゅう)」と呼ばれる10人前後のグループに分けられました。これは大人が管理する組織ではなく、年長の子どもが「什長」となって年下を指導する、いわば子どもによる自治組織です。ここで毎日唱和されたのが、7つの禁止事項からなる「什の掟」でした。
掟の最後の一文「ならぬことはならぬものです」は、一見すると理由を説明しない、ただの繰り返しに聞こえます。しかし教育的には、これは幼児に善悪の理由を延々と説明するのではなく、「守るべき一線がある」という感覚そのものを体に染み込ませるための、意図的な設計だったと考えられています。理屈より先に、規範への感覚を刷り込む——現代の幼児教育論から見ても、示唆に富む手法です。
掟の中身——「弱い者いじめをしてはなりませぬ」の重み掟の中身——「弱い者いじめをしてはなりませぬ」の重み
什の掟が禁じたのは、年長者への非礼、嘘、卑怯な振る舞い、弱い者いじめ、そして戸外での飲食や女性との立ち話まで多岐にわたります。現代の感覚では窮屈に思える項目もありますが、共通するのは「卑怯を許さない」という一貫した価値観です。この価値観が、後の白虎隊士たちの行動原理にも直結していきます。
破却された校舎、10km離れて復元破却された校舎、10km離れて復元
日新館の建物群は戊辰戦争で焼失・破却されましたが、1987年、元の場所から約10km離れた地に、当時の設計・規模を忠実に再現する形で復元されました。現在は資料館として公開され、藩士の子弟がどのような一日を過ごしていたかを、精緻なジオラマで追体験することができます。